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15年前の空と、10年前の設計図

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15年前の窓と、10年前の隣家設計


15年前、もし隣に家が建つとわかっていたら——


僕は、もっと大きな窓を設けていたと思うし、その位置も、ほんの少し変えていただろう。


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視線をわずかにずらすだけで、見える景色は大きく変わる。


当時は、今と変わらず空が広がり、風が通り、鳥が舞っていた。

その風景が、この先もずっと続くような気がしていた。

そう信じたくなるような、静けさがそこにはあった。


もちろん、どんな土地でも、やがて周辺は変化していくし、それは頭では理解していた。


設計者として当然の想定でもあるけれど実際に隣に建物が建ったとき、

自邸の窓から見える風景は大きく変わった

それでも、後悔はない。


なぜなら、その隣の家を設計したのは——僕自身だったからだ。


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10年前、隣地に新たな住宅を建てる計画が持ち上がり、その設計を僕が担当することになった。


自分の家のすぐ隣に、もう一棟の家を描く!それはとても不思議な感覚だった、、、


まるで、「自分の暮らし」と「他者の暮らし」の間に、そっと橋を架けるような作業だった。


自然と、自邸から見える隣家の『かたち』に拘り、視線が交わらないように隣家の開口部をずらして配置した。

風と光の流れを妨げるどころか、むしろ補い合うように考えた。

だから、やっぱり後悔はないですねー


配慮を尽くした隣家は、いまでも静かに自邸と呼応している。

空間と空間が、互いに語り合うように存在している。

設計とは、ただ一棟を完結させるための行為ではない。


時を越え、場所を越え、空間同士が関係を持ち続けるための“対話の装置”をつくることでもある——あの経験が、それを教えてくれた。


そして今、ふと立ち止まって考える。


もし、15年前の自分が——「将来この隣地に、自分の設計で家を建てることになる」と知っていたら、僕は、どんな窓を開けていただろうか。


その答えは、まだ見つかっていない。

けれど、過去の自分と、これから出会う住まい手が、静かに呼応できるような設計を

これからも続けていきたいと思っている。



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